古事記を巡る!徳島に♪
9月3日から5日にかけて、徳島を大縦断して、神社を巡ってきました。
訪れた神社はたくさんあり、書ききれない数。
いずれ、ブログ等で詳しく紹介しようと思います。
以前から、話にはきいていましたが、
徳島には、古事記の伝説が全てあるという説。
もしかして、ひな型のことかな、とは思いつつ、
現地に向かうと、確信に変わってきました。
忌部の策の跡ではないかと。
大化の改新の後、白村江の戦いに負け、百済と伽耶は貴族は日本に流れ込み、
遅れて、高句麗の貴族や武士も流れ込んできます。
ちょうど、7世紀前後は動乱の時で、唐支配(半島は一応新羅)が強くなるのですが、
そんな折、710年に古事記と日本書記ができるのは、偶然ではないと思います。
ここで、権力者が変わったとしか思えないですし、
春日大社が創建されたりするわけです。
この時期に制作した古事記は、神様の名前がたくさん出てくるわけですが、
まだ、日本には、広まってない神の名だったりするわけです。
そのため、古事記の神を広げて、日本の結界を広げていくには
最大の策略だと思うのです。
その神を担当する忌部の地、阿波には、
現実に神が動くような祈りを捧げて、日本に広がるよう、ひな型があるのだと思います。
古事記のネタ元は阿波にあった。
それまでに直観していたことが、その通りだと確認した作業でしたが、
もっと、深いしかけがあるはずなので、
これから、それを詳しく研究していきたいとは思いました。
しかし、忌部のしかけが、1300年間、日本を守ってくれたので、
すごい呪術だと思います。
これから、近代化がすすみ、この呪が説かれてきたので、
新しい策を講じるにしても、これは参考になると思いました。
弘法大師は見抜いて八十八か所を作ったのですね。
凄いです。